滝沢秀明が突然ジャニーズ副社長の辞任を表明し、クラブを辞めた! 理由は不明だが、日本のメディアはこの件が原因ではないかと分析している・・・・・・

ジャニーズ事務所は31日、滝沢秀明副社長(40)が同日付で退任し、事務所を退社したことを発表した。グループ会社「ジャニーズアイランド」の社長も9月26日付で退任。後任は元V6の井ノ原快彦(46)が務めている。現在第一線で活躍しているSixTONES、Snow Manをデビューさせて成功させた立役者の退任劇だけに、各所に激震が走りそうだ。

突然の退任劇となった。ジャニーズ事務所によると、滝沢氏から9月中旬に退任の申し出があった。事務所側は慰留したが、本人の固い意思を尊重。9月26日に役員会で承認され「ジャニーズアイランド」の社長を退任し、10月末でジャニーズ事務所副社長などグループ会社の役員も退任することとなった。

事務所関係者は退任理由について「ご本人がおりませんので代弁することはできません」としている。本紙の取材では、滝沢氏は弁護士を通じて退社の意思を申し入れ、事務所と滝沢氏の双方が代理人を立てて条件面などを話し合っている。滝沢氏はコメントは発表せず、会見の予定もないという。

アイランドの社長後任には井ノ原が就任。事務所副社長の後任は置かない。

滝沢氏に近い関係者によると、滝沢氏は、17年のタッキー&翼の活動休止前後に事務所を辞める意向を示したことがあった。故ジャニー喜多川氏が慰留し事務所にとどまった。その後、ジャニー氏が手掛けていたJr.メンバーの発掘・育成の後任への就任を機に、18年末に芸能界を引退。19年にアイランドの社長に就任した。

20年1月にはSnow Man、SixTONESの同時デビューを主導。事務所内の世代交代に貢献してきた。さらに先月28日にはTravis Japanが全世界デビュー。演出を手掛けた舞台「少年たち」も、愛知・御園座で上演中だ。

なぜ、この時期の決断になったのか。ジャニーズを古くから知る関係者は「滝沢さんが手掛けたグループは、デビューから2年で彼の元を離れることが決まっている。Snow ManとSixTONESが手を離れ、Travis Japanも区切りがついたタイミング」と指摘。「以前から事務所に未練がなかった滝沢さんは、もうジャニーズで自分のやることはないと判断したのでは」との見方を示している。

創業当時からジャニー氏が人材発掘と育成、故メリー藤島さんが経営面を手掛けてきたジャニーズ。体制移行後はジャニー氏の後継者を滝沢氏、メリーさんの後継者を藤島ジュリー景子社長が務めてきた。今回アイランドの社長が代わり、井ノ原の経験が少ないうちは、ジュリー社長がアドバイスしながら運営していくことになるとみられる。

滝沢秀明氏はなぜ、ジャニーズ事務所を退社しなければならなかったのか?2018年の引退後、先代社長のジャニー喜多川さんから後継指名を受けてプロデューサー業に専念。Snow ManとSixTONESをCDデビューさせ、Travis Japanを世界進出させた手腕を評価する声は高かった。19年にジャニーさん、昨年名誉会長の藤島メリー泰子さんを失った同事務所の舵取りを担い、順風満帆だっただけに謎は深まるばかりだ。

2018年12月に表舞台から去った後、裏方に徹し、後進の育成にまい進してきた滝沢氏の退社は芸能界に大きな衝撃をもたらすこと必至だ。

NHK紅白歌合戦のリハーサル現場に顔を出したり、新聞記者やテレビ局スタッフに直接名刺を手渡すなど、自ら足を運んで所属タレントを売り込み、結果を出してきただけに、突然すぎると言わざるを得ない。

19年1月、Jr.の育成を担うジャニーズアイランド社長に就任した際、Snow ManとSixTONESはCDデビューのみならず、紅白出場にメンバーの連ドラ主演も果たした。Travis Japanはジャニーさんの念願だった世界デビューを滝沢氏の力で先月28日に実現させた。

ただ、ここまでの道程は平坦ではなかった。19年7月にジャニーさんが急逝したため、恩師の下で2、3年はプロデュース業を学ぶはずが、転身からわずか半年で〝全て〟を背負うことになる。同9月にジャニーズ事務所の副社長を兼任したのは37歳だった。

藤島ジュリー景子社長を支える立場となったが、タレント時代から完璧に仕事をこなすイメージが定着していたことに加えて、CDデビュー組には先輩が多く、気軽に悩みを相談できる存在が近くに少なかったのではないか。

ジャニーさんの死去後、近藤真彦(58)を筆頭に先輩タレントの退所が相次ぎ、TOKIOは独立、V6は解散。急速な若返りが計られた。裏方転身後、明らかに痩せていた。本人は「タレント時代より食べている」と語っていたが、心身ともに抱えていた負荷は察して余りある。

ただ、一度口にしたことは守る性格から、今後のタレント復帰はないだろう。ジュリー社長と事務所やタレントの方向性をめぐる決定的な違いが生じたのか、ジャニーズ以外でタレントを育成したい気持ちが出てきたのかは分からない。

演出力や育成力は誰もが認める滝沢氏。しばらく休養してから裏方業で再び芸能界に携わる日を待つしかない。

衝撃が走った。ジャニーズ事務所の副社長、新人を育成するためのジャニーズアイランド社長のタッキーこと滝沢秀明氏が近く退社するというのだ。2018年に引退し、裏方に回って多くの人気グループを育て上げたにもかかわらず、いったい何があったのか? 現社長の藤島ジュリー景子氏との〝確執〟がささやかれている。さらに滝沢氏の退社に追随するグループの存在まで…。ジャニーズ帝国が揺れている。

「Jr.の育成にはかなり熱を入れていたし、タッキーがデビューさせたSixTONESとSnow Manにはデビュー後もかなり目を掛け、コンサートにも足しげく通っていた」と芸能関係者。そんな滝沢氏がジャニーズを離れるというのは、にわかには信じがたい。

先代社長のジャニー喜多川さんから後進の育成を任された滝沢氏は、自身のアイドルとしてのキャリアを投げ捨ててまで、ジャニーズに身を捧げてきた。

「ジャニーさんがまだ存命のころ、タッキーはJr.のオーディションに付いて行ってジャニーさんの〝眼力〟を学びました。成長するにしたがってどんどん顔が変わっていくので、10代前半の子を選ぶのは本当に難しいのです。ジャニーさんは誰よりもその見極めに優れており、その力をタッキーは継承したと言われているのです」(同)

当初は育成メインだった滝沢氏だが、ストーンズやスノーマンがデビューした後も懸命に汗をかいてブレークに一役買った。「いま大ブームになっているスノーマンの目黒蓮が出演するフジテレビ系ドラマ『silent』でも、タッキーは動いていた。目黒のキャスティングだけではなく、お気に入りの一人であるIMPACTorsの佐藤新の出演にも尽力した。」(制作会社関係者)

そんな滝沢氏がいったいなぜ、退社という道を選ばなくてはならなかったのか?音楽関係者は「やはりジュリーさんとの確執でしょうね」と指摘した。

先日、スノーマンのライブがあったのだが、そこにいつもいるはずの滝沢氏の姿はなかったという。「よくよく聞いたら、スノーマンもストーンズもタッキーの管轄から外れて、ジュリーさん案件になっていたというからびっくりしました」(同)。育ての親である滝沢氏の手から離されていたというのだ。

ジャニーさんが育成やプロデュース、姉のメリー喜多川さんが経営やデビュー組の運営と分業していたように、滝沢氏とジュリー社長もうまく役割分担していたかに思われたが、どうやらそうではなかったようだ。「その形をタッキーは良しとはしなかったようです。タッキーが激ヤセしたなんて話もありました。ジュリーさんとの関係がうまくいっていなくて『タッキーはヤバイかも』なんて話はちょくちょくあった」(同)

ここ数年、所属タレントがスキャンダルを起こすと厳しい処分が下されてきた。これも滝沢氏の意向とされてきたが「実際にはタッキーに処分を決める権限はなかった。タッキーも『いつも俺ばっかりが悪者になる』とグチをこぼすこともあった。うまく利用されていると感じていたのでしょう」(同)

人望が厚い滝沢氏が辞めるとなれば、確実に余波は広がるだろう。ジャニーさんが亡くなった時も退社が相次ぐという観測はあったが「辞める可能性があるグループを、うまくまとめたのがタッキーです。最右翼と言われたKinKi Kidsの2人には舞台のプロデュースを任せたりして、未然に防いだのです。これらのデビュー組、滝沢氏に育てられたJr.組が今後相次いで離脱なんてこともありえるでしょう」(テレビ局関係者)

ジャニーズ帝国の行く先は――。

滝沢 秀明(たきざわ・ひであき)1982年(昭57)3月29日生まれ、東京都出身の40歳。ジャニーズJr.のリーダー格として頭角を現し、今井翼(41)とのデュオ「タッキー&翼」で02年にデビュー。05年NHK大河ドラマ「義経」主演。10年の舞台「滝沢歌舞伎」で演出家デビュー。愛称「タッキー」。

井ノ原 快彦(いのはら・よしひこ)1976年(昭51)5月17日生まれ、東京都出身の46歳。88年ジャニーズ事務所入り。95年にV6の一員としてメジャーデビュー。グループの年長3人による「20th Century」として活動。司会業や俳優業でも活躍し、15年の大みそかには「NHK紅白歌合戦」で白組司会を務めた。愛称「イノッチ」。

ジャニーズアイランド 19年1月に設立。ジャニーズ事務所の子会社で、Jr.のプロデュースと新人発掘が主要業務。Jr.の動画を配信する「ISLAND TV」なども運営している。

發表評論