一瞬、この空間には私と羽生結弦選手しかいないかのような・・・・・・・

ケガから復帰し、平昌五輪で演技を行う直前の羽生結弦の表情。2連覇を成し遂げる演技がされるまでの本人の表情をとらえた1枚だ

11月4日、アイスショー「プロローグ」が開幕し、新たなスタートを切った羽生結弦。10年以上にわたってその姿をファインダー越しにとらえてきた元朝日新聞のフォトグラファー・遠藤啓生にとっての「心に残る1枚」とは――。(全2回のうち第2回)

2012年、フランス・ニースでの世界選手権でフォトグラファー遠藤啓生は、羽生結弦の銅メダルに大きなインパクトをうけた。

以後、大会で羽生を撮り続けてきた遠藤にとって、心に残る写真がある。2018年、平昌五輪での1枚だ。

負傷による長期休養からの復帰戦であったこの大会で羽生はそうとは思わせない演技を披露。ソチに続く金メダルで五輪連覇を達成した。

この試合の中で遠藤の印象に残っているのは、ショートプログラムの演技直前、羽生の表情をアップでとらえた写真だ。

羽生さんとの距離は2m、3m以内だった

この日、遠藤はリンクサイドに陣取った。

「ジャッジ席と反対側、バックスタンド側にいました」

フォトグラファーの位置は、他の国際大会同様、抽選によって決まる。スタートとフィニッシュでスケーターがジャッジ側を向くことを考えれば、そちらにいたかったが、抽選の末に遠藤はバックスタンド側に位置取ることになった。

羽生は最終グループの6人中、最初の滑走順だったため、6分間練習が終わったあともそのままリンクに残っていた。

周回する羽生が近づいてきた。遠藤はレンズを向け、シャッターを切った。

「望遠ではなく、70ミリのレンズだったと思います。個人的に心に残りました」

このとき、羽生と最も近い位置にいたフォトグラファーは遠藤だった。

「羽生さんとの距離は2m、3m以内だったでしょうか。フィギュアスケーターとの距離がここまで近くなることは、競技のときにはあまりありません。一瞬、自分の空間に羽生さんがいる、2人だけの空間になっている、そんな感じがありました」

当時、怪我の状況は分からなかった

不思議な感覚に襲われる中での1枚。遠藤は自身がこの1枚に惹かれた理由を、こう考えている。

「集中しているのはもちろんですが、何か、『乗り越えた』ことを証明する直前の表情というのか。後から見ればオリンピック連覇をした大会ではありますが、当時、怪我の状況は分からなかったですし、ショートプログラムが始まるまでどういう演技ができるのか、多くの人はわかりませんでした。」

「一方で素晴らしい演技を見せてくれるだろうという大きな期待もあった。そういった期待を背負っていること、背負う中で演技を行い、この数分後には結果が出る状況にあること、そういった直前ならではの内面が表情に出ていたように思います。」

「覚悟というか、邪念をすべて取り払っているかのような……。その分、演技が終わったあとの柔らかい表情も覚えています」

表情をここまでクローズアップした写真が成り立つのは、羽生の存在が大きかったという。もともと、競技写真と言えば、選手のパフォーマンスを伝えるために全体をおさえる構図であることが求められていた。2012年のフランス・ニースでの世界選手権で、手足の長い羽生を1枚におさめることに遠藤が苦労したのもそのためだ。

羽生によって変化が生まれた写真の構図

だが羽生の活躍によって、構図に変化が生まれたと語る。

「上半身だけでもいいんじゃないか、この写真(本記事の一番最初の写真)のように完全に顔のアップでもいいんじゃないかとなってきたと思います。」

「というのも、羽生さんは、ジャンプやスピンなど要素のつなぎや流れがやっぱり上手な選手ですし、表情でも表現をしっかりしている選手です。」

「そうなると、全体ではなく部分を撮っても成り立つわけです。ドキュメンタリーのような写真でもありなんだな、と僕だけじゃなくフォトグラファーたちが気づかされたように思います」

2019年の全日本選手権のとき、遠藤はジャンプ着氷後の羽生を背中越しにとらえた。その写真はwebの記事に使用され、大きな反響があったという。

「本人の顔が映っていなくてもいい、背中でも語れるんだ、そんなことを思いました」

全身を使って、一分の隙もなく表現するのが羽生であるとも言える。遠藤は、羽生がそうしたレベルに到達した表現者である理由を、こう考えている。

なぜ全身でなくても写真として成立するのか?

「責任感なのではないでしょうか。記者会見でも日本を代表している自覚と責任感はすごいし、大変だな、といつも思っています。ただ、だからこそ、1つ1つのしぐさも気を遣っているだろうし、それが(今の羽生さんに)つながっているのではないでしょうか」

競技に取り組む姿勢を感じ取り、またフォトグラファーとして構図の可能性に気付かされた。だからこそ、こう語る。

「個人的にフォトグラファーとして育ててもらった。それに尽きますね。彼を追うことでかなり成長できたし、フォトグラファーとしての醍醐味もすごく感じていましたし、スポーツってすごくいいよな、と思わせてくれたのが羽生さんでした。

「こういう撮り方もできるんだと幅は広がったし、違う現場に行っても、その引き出しが活かされてますね」

遠藤さんの今後は「ドキュメンタリー制作を手がけていきたい」

遠藤は2021年10月、国際報道部に異動。北京五輪が行われている最中の2022年2月16日、ウクライナ入りした。ロシアが侵攻する前から当地で取材にあたっていた。映像で伝えることの大切さを実感した遠藤は朝日新聞社を今夏に退社。ドキュメンタリー制作を手がけていきたいという。

その中にはフィギュアスケートを取り上げる構想もあるという。

「ライフワークみたいにできたらなとは思っています」

スチールから映像に力点を移し、遠藤は羽生の撮影で気づくことができた経験もいかしていくだろう。その映像の中で、もしかするといつの日か羽生を再びとらえているのかもしれない。

 

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