こんにちは、Saraです。
第98回選手権千葉県予選決勝で、流通経済大柏高校に見事勝利し、全国大会出場の切符を手に入れた市立船橋高校。
そんな市立船橋高校の監督は、
2019年よりサッカー部の監督となった波多秀吾新監督!!
なんと波多監督、まだ37歳の若い監督なんです!!
市船と言えば、千葉県だけでなく全国でもサッカーの名門高校と言われる高校の1つですよね。
市船高校サッカー部は、数多くのプロサッカー選手も輩出しています。
そんな名門中の名門の新監督ってどんな方?と気になりましたので、
今回は、波多秀吾監督の
経歴
プロフィール
これまでのサッカー指導実績
について調査してみました。
題して、
波多秀吾監督の経歴やプロフィールは?サッカー指導実績もヤバイ!
です。
それでは早速みていきましょう!!
波多秀吾監督の経歴やプロフィールは?
まずは、波多秀吾監督のプロフィールからみていきましょう。
年齢:37歳(2019年12月1日現在)
出身地:不明
身長:不明
職業:教論
今現時点では情報が少ないため不明なところが多く、わかっているところは、
現在37歳の教論であるということです。
37歳ということは、1982年生まれということでしょうね。
この若さで、名門校の監督という重責を担っていることにびっくりしました!!
御本人も、市立船橋という伝統や実績もある高校で結果を残さなければならないというプレッシャーはかなり感じているとおっしゃっていました。
そりゃそうなるのも必然です、市立船橋高校は、高校サッカーだけでなくその先の”プロサッカー選手”を目指している選手が全国各地から集まってきます。
となると、選手たちの人生も背負っていると言っても過言ではありませんし、強豪校市船の名を汚すわけにもいかないという思いもあるでしょう。
今までの歴代監督も、数々の実績を残していますから、ここは絶対に結果を出したいところですよね。
現在の職業は教論です。
市立船橋高校で教論を務めています。
高校サッカーの指導者になるために、教論となったのでしょうか。
波多監督の経歴について、詳しくみていきましょう。
大学:京都教育大学
市川南高校にて、サッカー指導をする。
八千代東高校にて、教論・サッカー部監督を務める。
2016年に母校である市船へ転任。転任後からはコーチを担っていたが、2019年に朝倉前監督退任後より新監督となる。
波多監督は、市立船橋高校サッカー部を卒業しています。
市船は母校だったんですね。
波多監督が在籍していた頃の市立船橋の選手権の結果をチェックしてみました。
波多監督が高校2年の時は第78回大会、3年の時が第79回大会です。
第78回大会では、市立船橋高校は見事全国優勝を収め、
第79回大会では、全国大会の2回戦敗退となっていました。
この頃の時代は、市立船橋が特に強豪校と言われていた時期に当たるのではないでしょうか。
この時代以前にも全国大会出場歴はあるものの、第78回からはなんと6回連続で全国大会へ出場していました。
物凄い時代の市立船橋高校サッカー部に所属していたということになりますね。
波多監督の同学年には、多くのプロサッカー選手もいました。
永井俊太:高校卒業後、柏レイソルに在籍、最後は愛媛FCに在籍した後、引退
本橋卓巳:卒業後は、FC東京へ。最後は栃木SCに在籍後に引退。
秋田正輝:卒業後は筑波大学へ。水戸ホーリーホックなどを経て市川サッカークラブに在籍。現在は不明。
中澤聡太:卒業後、柏レイソルへ。最後はセレッソ大阪に在籍後、に引退。
波多監督は、高校卒業後、京都教育大学へ進学しています。
大学でもサッカー部へ所属し、ポジションはMFだったようです。
京都教育大学自体は強かったのかな〜と思い調べてみたところ、当時は関西リーグ2部だったようです。
私自身、大学サッカーについてはあまり詳しくないのですが、2部ということはそこまで強豪校というわけではなかったのでしょうか。。
ただ、サッカー自体は続けていたようですね。
大学卒業後は、教論となります。
大学進学時から教論の道へ進むことを目指し、京都教育大学へ進学したのでしょうか。
もしかしたら、この頃からサッカー指導者の道へ進むことを決めていたのかもしれませんね!
ここからは、大学卒業後の経歴について、わかっていることをご説明していきます。
波多監督が市立船橋高校に転任してきたのは、2016年のことです。
それまでは、八千代東高校にて、教論兼サッカー部の監督を担っていました。
八千代東高校の前はどこの高校に在籍していたのか、調査してみたのですが見つからず。。
ただし、どうやら、市川南高校で教論兼サッカー部監督を担っていた可能性がありそうです。
この情報を得たきっかけとなったツイートや、波多監督のサッカー指導実績について、次で詳しくみてみましょう。
これまでのサッカー指導実績がヤバイ?!
これまでのサッカー指導の実績をみてみますね!
まずは、先の続きとなりますが、
八千代東高校の前任の高校がどこなのか調査していましたが、詳しい情報は明らかにされていませんでした。
がしかし、こちらのツイートに、市川南高校に在籍していたとあります。
波多監督は、市川南高校のサッカー部を県2部まで連れていき、そして八千代東高校を中堅の強さまで連れて行ってくれたようですね。
八千代東高校監督時代、サッカー部はベスト16、32という結果を出していました。
この情報を見る限りですと、指導者としてなかなかの実績がある方と言えるのではないでしょうか。
ただ、この2校については、まるでルーキーズのような(笑?!ご存知でない方は、さらっとながしてくださいね)いわゆる強豪校とは言えないサッカー部を、波多監督のちからで以前よりも強いチームに作り上げたというわけです。
市立船橋高校は、すでに伝統と実績がある強豪校ですから、そう行った面では、それまでとは全く異なる要素もあるかもしれませんね。
実波多監督就任後の市立船橋高校の実績は、決して良いとは言えない結果が多くありました。
プレミアリーグでも良い結果を出せず、インターハイ予選ではまさかの準決勝敗退で7年ぶりの全国大会出場を逃してしまうなど、厳しい時期となっていました。
がしかし!!
2019年夏以降にスイッチが入り、プレミアリーグ尚志戦以降は連勝しているんです!!
2019年夏に何があったのか・・・それは、どうやらエースでもある鈴木唯人選手の”変化”なのかもしれないという記事を発見。
9月15日に行なわれた高円宮杯プレミアリーグ第13節の柏レイソルU-18戦だ。後半、立て続けに4ゴールを奪われ、1‐4の大敗を喫したのだ。
試合後のミーティングで、波多秀吾監督や数人のチームメイトから「ユイトはまだ100パーセントでやっていない」「もっと守備をできるはずだ」と指摘されたという。
「たしかにそういう部分はあったし、言い返せなかった」というエースは、涙ながらにひとつ注文をつけた。
「だったらフォワードをやらせてくれよ」
エースの強い口調に、波多監督も応えた。
「わかった。次の試合からフォワードでプレーしろ」
サッカーダイジェストより
こういう舞台裏のストーリーが、やっぱり高校サッカーは面白いし、かっこよいし、青春だ!!と思わせてくれるんですよね。
この出来事により、監督とチームメイトが一体となることができ、ともに1つの目標を目指し戦うという結束ができたのかもしれませんね!
これから、波多監督がどこまでチームを押し上げていくのか、どんなチームになっていくのか、楽しみで仕方ありません!!
まとめ
今回は、
波多秀吾監督の経歴やプロフィールは?サッカー指導実績もヤバイ!
についてご紹介しました。
市立船橋という全国でも名だたる名門校で、一体どんなサッカーチームを作り上げるのか、これからの活躍が、とっても楽しみです!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。