こんにちは、Saraです。
いよいよ令和初の全国高校夏の甲子園が始まります!!
今年の夏の甲子園に初出場を決めたのが愛知県の誉高校!
見事初登場を成し遂げた誉高校野球部の監督はどんな方なのか、気になりますよね!
監督の経歴など調査してみました。
題して、
誉高校野球部監督の経歴や成績は?出身と年齢も
です。
それでは早速みていきましょう!
誉高校野球部監督の出身や年齢・経歴は?
まずは、監督の出身や年齢・経歴についてみていきましょう。
誉高校野球部監督は、
八幡真也監督です。
1972年生まれ46歳
〈出身〉
愛知県犬山市出身
〈高校〉
岐阜県美濃加茂高校卒業
〈大学〉
朝日大学卒業
〈大学卒業後〉
社会人野球に3年間所属
引退後、工場で働き、結婚後は義理の実家の電気店を継ぐ
愛知県立犬山南高校野球部監督
2006年から誉高校野球部監督に就任
元々誉高校監督就任前は、町の電気屋さんとして、誉高校に蛍光灯などを直しに行っていたそうです。
通ってるうちに事務局長と親しくなり、事務局長が八幡監督に監督業をやってほしいと依頼し、引き受けることとなりました。
八幡監督自身、初めは、強いチームを作り上げることができるのか不安だったと言っていましたが、甲子園出場まで導いたのですから、立派な監督さんですよね!
また、スポーツフードスペシャリストの資格を取得し、ほぼ毎朝寮生のために、朝食を作っているそうです!
料理はまだまだ勉強途中?!だそうですが、選手のため、チームのためにここまでやっているのですから、八幡監督の意気込みと熱意が伝わってきますよね。
八幡真也監督の野球の成績は?
八幡監督は、学生時代は野球人生を送ってきたようですね。
詳しくみていきましょう。
岐阜県美濃加茂高校エースとして活躍、甲子園出場
甲子園1回戦 宇部商 vs 美濃加茂 3-2で敗退
<�大学時代>
大学3年の時、全日本大学野球選手権1回戦出場
当時の美濃加茂高校は、寮もあり、野球強豪校だったようです。
そんな中、エースとして甲子園まで出場しているんですから凄いことですよね!!
社会人野球も3年やっていたので、おそらくプロの世界に入ることを夢見ていたのかもしれませんね。
甲子園にエースとして出ていれば、誰しもが描く夢です。
選手として甲子園に出場するも、惜しくも1回戦敗退という結果で、おそらく相当な悔しい想いをされてきたのではないかと思います。
それだけに今回の監督としての出場、そして勝利への想いは、人一倍強いのではないでしょうか。
誉高校野球部について
1983年に野球部創部。
2006年に八幡監督が監督をし始めるも、部員数は7人。
野球の試合もできない人数ですよね。
初めは部員集めから始めたものの、皆が敬遠するようなヤンチャっ子が多い部だったそうです。
そんな状況にいることで、逆に八幡監督の野球魂に火がつき、強豪校出身のコーチらの紹介で部員を集め、徐々に力をつけていきました。
もうここまで聞いた時点で既に「ルーキーズ」ですよね!!
ルーキーズの世界が現実の世界に存在していたとは、本当に驚きです。
学校側も野球部に力を入れ、2013年には野球部の専用球場を作り、
その期待に答えるように、2014年秋に初めて県大会優勝。
その後もベスト4など、確実に成績を残しています。
愛知県は、全国最多の188校、おまけに愛工大名電や中京大中京などの強豪校もいます。。
そんな中で互角に戦っているわけですから、本当の実力を兼ね備えたチームなのでしょう。
今回の夏の甲子園はもちろん、今後も注目していきたい高校ですね!
ちなみに、八幡監督就任後、2名のプロ野球選手も卒業しているようです。
福岡ソフトバンクスホークス
伊藤元選手は、2017年に右肘の手術を行うこととなり、1年のリハビリに専念したものの怪我の状態が復活することはなく、残念ながら現役引退となりました。
松澤元プロ野球選手は、誉高校から朝日大学、その後香川オリーブがイナーズ、読売ジャイアンツと在籍しましたが、怪我・故障に見舞われたことも影響し引退となりました。
これからも監督業を続け、たくさんのプロ野球選手を輩出してほしいですね!
まとめ
今回は、誉高校野球部監督の経歴や成績は?出身と年齢も
についてご紹介しました。
まるで、ドラマや映画で作られたような青春ストーリーの1ページを見ているかのようですよね。
今年の甲子園は、益々楽しくなりそうです!
誉高校、応援してます!!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。